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群馬の技一番
池田 章さん
所在地  北群馬郡榛東村
受賞年度  平成21年
プラスチック成形に従事し、新工法による自動車部品の開発と量産化に多大な功績を残した。また、技能検定委員を務めるなど、後進者の育成に尽力している。
プラスチック成形工
池田 章
さん

樹脂になりたい

「樹脂になりたい」
「樹脂になりたい」
「樹脂になりたい。金型の中で樹脂がどうなっているのかを知りたい」。自動車内外装部品の製造を手掛ける三和化工に30余年勤務し、退職した現在も技術・営業面での指南役として同社に通い続けるプラスチック成形工・池田章さん。プラスチック(樹脂)成形において県内有数の技能を有し、中でもカーエアコンの温度調整や風向き調整を行うダンパー(気流制御弁)の新工法を開発し量産化に寄与した功績は高く評価されている。

そんな池田さんは社員から「感性の人」と慕われている。「池田さんの教え方は論理的というよりも想像的で、答えではなく答えまでの道のりを教えてくれる。教えられる側は考えさせられる」(後輩・須田さん)。それもそのはず。実は、池田さんは詩人・飯島章としての一面も持っている。

感性を形にする

仕事を語る 左:池田さん 右:後輩の須田さん
仕事を語る 左:池田さん 右:後輩の須田さん
プラスチック成形工として勤める傍ら、詩集7冊のほか詩誌も手掛けきた池田さん。「両立できたのは両方好きということが基本。仕事中は100%詩のことは考えない」と両立の秘訣を話すが、仕事に就いてから10年は詩を書けなかったという。

幼いころから数学が得意だった池田さんは地元・前橋工業高校に進学した。2年生のときに教科書に載っていた立原道造の詩をきっかけに詩を書き始め、その後中央大学の文系に進学。しかし、当時は70年安保闘争のため学業どころではなく、混乱のなか就職した。電気工具の営業をしたり、会社を興して広告関係の仕事をしたりと様々な職を転々とする日々が続いた。

そんな池田さんが三和化工に就職したのは28歳の時のこと。長男・瑞輝さんが誕生したことを機に、生活のために働くことを決めたという。しかし、当時は技術指導のなかった時代。「仕事が分からず、工業高校時代の教科書を読んで一から勉強した。その経験がのちに後進の育成の時に役に立った」。

樹脂も詩も同じ

「樹脂も詩も同じ」
「樹脂も詩も同じ」
夢中で仕事を覚え、入社から10年後には1級プラスチック成形技能士の資格を取得した池田さん。様々な職を経験したことを活かし経営感覚をもって開発・製造に取り組んだことが評価され、製造や管理・開発の責任者に抜擢されるようになった。詩を書く余裕も生まれるようになった。

池田さんがカーエアコン・ダンパーの開発に取り組み始めたのは1994年のこと。「可能性はたくさんあってもなかなか形にすることができなかった」と試行錯誤を重ねた日々を振り返る。「しかしある日突然できた。タイミングが大切だった」。手作業で両面テープを張り付けたウレタンを樹脂板に貼付する従来の工法を改め、自動で両面テープを使わずにウレタンを樹脂板に添付する新工法を開発した。その結果、安定的な量産を可能にすると同時に3割以上のコストダウンを実現し、多くの自動車メーカーに採用された。「どうしたら不良品を出さないか。それにはとにかく突き詰めるしかない。そこは樹脂も詩も同じ。同じ重さの喜びがある」。

もう少し遠くまで

開発したダンパーを手に「まだまだ挑戦したい」
開発したダンパーを手に「まだまだ挑戦したい」
昨年三和化工を退職した池田さんだが、「仕事の全部が好き」と現在も指南役として同社に通い続けている。「これまで開発ではエアコン一筋にやってきた。しかし、今はもっとコストの下がるものがある。そこに挑戦したい」と一社員としての意欲を持ち続けている。

その一方で詩人としての活動も続け、私生活も充実した日々を送る池田さん。「家族というのは、この地上でのいちどだけの組み合わせの、いちどだけのつかのまのピクニックだ」と長男・瑞輝さんと2006年に出版した親子詩集『もう少し遠くまで』(文芸社)のあとがきに記している。「息子の詩を見るとイメージが広がる。こういう表現の仕方があるのかと思う」と、作風も目指す到達点も異なる瑞輝さんを一詩人として尊重する。

プラスチック成形工・池田章と詩人・飯島章の二つの生を駆け抜けること30余年。もう少し遠くまで―感性を形にする挑戦は続く。
若者へのメッセージ
「自分の仕事はこれだと決めつけすぎず、もっと心を柔らかくしなやかにもってほしい」

「仕事の面白さは全体的なものではなく、むしろマニアックな細かいところ。どうしたらできるかを考えるのが面白い」

「樹脂になっているつもりで想像する」

「一円、何十銭をいかに下げるか。そこがポイント」

「形がなかなかできなかったことが名工になれた理由」